栃木県を中心にトータルで地域経済発展の為にお仕事をされていらっしゃる株式会社サムライトサムシング。 創業までの経緯や想い、そしてこれからの展開などを代表取締役の阿久津社長にフラットにインタビューさせていただきました
ー阿久津社長はどういった想いで創業されたのでしょうか?経緯とかあったら是非教えてくださいー
タイミングがあったっていうのもあるけれども、元々独立しようと子供の頃から思っていたんだよね。
父親が一代で立ち上げて、今も電気屋さんをやっていて、
「後をつげ後をつげ」
って言われていたんだけれども追いつきたいって思っても追いつけないし、勝てないなって素直に思って。
だから漠然と起業したいという想いはずっと持っていました。
それで、東京に行ってアメリカに行ってバックパッカーやっていろんな国を見ているちょうど20代の頃に、レゲエサンスプラッシュっていう三浦海岸あたりでやっているイベントに出逢って、
「こういったイベントやりたいな」
「そういうものを栃木でやりたいな」
って思ってイベント会社に入りました。
で、そのまま広告代理店の仕事としていろいろなことをやっている中で、
「親のやっていることとは違うけれども親のサポートはしたいな」
と思っていながら広告の仕事などしていたら
「物を作り出すのは凄く面白いな」
と思うようになった。
そんな所で今の奥さんに出逢って、栃木に戻ろうと思っている途中で
“リクルートのタウンワークの創刊メンバー募集”
というタイミングがあって。
3年間という区切り付きだったんだけれども、その時31歳の途中だったからそこを卒業したら34歳。 30代半ば。
「創業にはちょうどいい時期だな」なんては思っていたんだけれどもまだ何をするかは決まっていなかったのが当時だった。
で、リクルートに入って頑張って活躍していたら
「契約を変えて社員にならないか」
という話があったんだけれども、そうすると全国転勤にもなってしまうし、
「自分は地元を盛り上げるために戻ってきたんだから」
という強い想いがあったから
「それはまずいな」と思って戻ってきて。
そしたらタウンワークのエリアが、北はさくら市までだったから、
「やらせてくれないですか?独立させてください」
といったら「OK」が出て、「そっか、この流れで独立していこう!」と思った経緯があります。
もともとバックパッカーもやっていたからバックパッカーの宿とかそういうのもやりたいなとか色々思っていたんだけれど、リクルートでお客様のご縁や15人位のメンバーとみんなで一丸になって目標を目指したりして、でも達成出来なくて悔しい想いを味わったりして。
そういったことをしていたら
「こういうメンバーとか組織を作っていきたいな」
って思うようになって独立を決意しました。
ー今の事業展開としてはどのようなものを展開されていらっしゃるのですか?ー
メイン事業はリクルートのトップパートナーとして代理店業務をやっています。
だいたい8〜9割位かな。
それ以外は企業研修やコンサルティング業、あとはキャリアカウンセリングの免許も持っているんでキャリアドッグ。
人材に関することはすべてサポートさせていただきたいので、人事評価のパッケージ販売。
あとはITなどを導入して、生産性を上げるための導入支援などもやっています。
ー今まで本当に色々あったかとは思うんですけれど、しいてあげるならば一番つらかったことってなんですか?ー
確かに色々なことがあったけれども 笑 お金がなかった最初が一番辛かったことかな。
というのもちょうどリーマンショックがあってリクルートとやり取りしている中で半年かけてやっていたんだけれども最後の三ヶ月で、
「やっぱり代理店業務駄目ね!」
って言われてしまって。。。
当然なんだけれども、明確な人員カットではなくて、業界が小さくなってしまっている中で自分の所が活躍してシェアを取ってしまうと本体へ出る影響が大きいからちょっとまってってなってしまったんだよね。
でもそんな中で準備をしているとどんどんお金は使っているわけだから、なくなるよね。
で、結局代理店業務は駄目って言われたんで、そこが一番つらかったです。
その時36歳だったんだけれども、
「これで就職したら独立はなくなるな」
と思った。
だから、とりあえずどんな形であっても独立しよう!と思って走り出したのが2010年の2月だった。
自宅の1室だったんだけれども、朝7時に起きて、夢中になっちゃうから夜中の2・3時までやっちゃうんだよね。
でもそれだけで食べられないんで、屋台横丁で朝方まで串焼きの仕事をしたりしていたよ。週末なんて朝方5時とかまで。
だいたい2〜3時間位しか睡眠は取れなかったな。
その時はあっという間に2・300万円とか無くなるし、落ち込み過ぎて手先が冷たくなったりもしてたんだけれども、でも、とにかく笑っていよう!と心に決めていたし、ポジティブに、前向きにやっているようにしたよ。
「あそこの人は笑ってるからなんか儲かってるだろうな。」
っていう雰囲気だけは出しましょうと 笑
それで、当時仕事はなかったけれど宇都宮花火大会とかボランティア業務はたくさんあったからそれを真剣にやっていたら本当にいいご縁もあって、リクルート本体の方から
「阿久津がいるじゃないか」
という話になって地域密着型の代理店を作ろうという話になって、その年の2010年の夏にやっと始めらたんだよ。
ほんと引き寄せというか、運というかそこからトントン拍子に進んでいった経緯がありますね。
その間のその他にも3.11の震災やもっともっと大変なことは苦労はあったけれども。
ーちなみに今クリエイト(生み出している)ものや挑戦しているものってありますか?ー
「将来こういった事業展開をしていきたい!」と本気で思って、人材で困っているお客様に媒体を通して人を繋いでいく。
そのお手伝いをすることが仕事であり、どこまでできるかが挑戦です。
あとは、街が元気=お店も儲かる=人が必要になる(求人)っていういい循環があるわけじゃない。
だから街を盛り上げていくことももの凄く大切だと思っています。
結局ボランティアボランティアっていうふうに、言葉だけが走るじゃない。
けれども、あくまで僕は両軸でどちらも大切だと思っているからやっているっていうシンプルな考えからやらせていただいているだけなんだよね。
ー大切にしていることや社風ってありますか?ー
大切にしていることは当事者意識を持つこと。
誰でもない、自分にしか出来ない。
任されたことは自分がやるんだ!
っていう当事者意識をみんなにも持ってほしいと思っているし、仕事はやるんじゃなくて、やりきるんだよ!ってくらいのことはいつも言っています。
100%は当たり前であって、そこから1%でもいいから何か他のプラスの価値を提供できるかどうか。
スタッフ含めてみんなの将来を考えると、
「あなたが介在する価値は何か?」
って考えた時にそういったものがどんどん積み上がってくると思いますし、常に期待を上回ることを大切にしてほしいなって思ってるよ。
ー会社や仕事以外のことで賭ける想いって何かありますか?ー
子供は二人いるだけど、妻は看護師で、夜中まで深夜2時とかまでずっと忙しくしてて、やっぱり子育て世代の応援もしたいし、そこに関われなかった子供たちがどういう風に成長していってどんな街で働くのかイメージしたい!って思う。
そうすると、
自分が育った街。子育てする街。商売させてもらってる街。
この3つはきちんと盛り上げていきたいって本当に思う。
だから色々と地元のお祭りなどはお手伝いさせていただいている所なんだよね。
雀宮のむら雀プロジェクトを年に2回、企画から携わらせてもらって、今では2000〜3000人のイベントにもなってきた。
(2018年 秋の夜祭は9月22日 土曜日 14:00〜21:00に開催)
公式ホームページ : www.murasuzume-project.com/
あとは事務所が南宇都宮にあるんで、南宇都宮の応援隊もやらせてもらってて、仕事柄もあってフラットに人と付き合えるので、人を繋ぐこともさせていただいる所でもある。
あとは、もともと住んでいた矢板では花火大会実行委員も昨年からやっていて、日本酒の仕込み水を使った矢板の地ビールをプロデュースをしてやろう!といったこともしてるんだよ、実は。
自分がビールは自分好きなのもあるけれど、ビールにはエール(応援)に近い意味もあるから、そういった意味合いから矢板を盛り上げていきたいという想いも強くあって。
ー色々お聞かせ頂きありがとうございます!ちなみにずばり、阿久津社長の座右の銘はなんですか?ー
子供の頃から変わっていないんだけれども、親父から「これを読め」って言われていたのが路傍の石で、その一説に、
“たった一度の人生。一生懸命生きなければ意味がないじゃないか”
という文章があって、その言葉というか文章を大切にしていて。
しかもバックパッカーでもあったので、やっぱり
“一期一会”
出逢ったご縁は大切にしていくことだよね。
ー意外と知られていない趣味とかスポーツってあるんですか?ー
生き方の背骨になっているのがずっとやっていた空手!
事業を立ち上げた1・2年目までは実業団でもやっていたんだけれど、身体と気持ちが崩れると骨折したりと本当に大変なものだから今ではやっていませんが、結構上位まで行ったりとそれも懸命にやってきた。
ー海外とか行かれてたのもお聞かせいただきましたが、その中で意外と知られてない、笑っちゃう逸話とか面白い話ってありますか?ー
アメリカ時代は留学というより遊学だったんで本当に楽しませてもらったけれども、そこから今でも繋がっている仲間や凄い先輩は全国にいて、ビジネスでも繋がれていて本当に良い時代だったなって思います。
あの時の経験で英語も少しは話せる様になったし、インド・ネパールとかも行けるようになって、バックパッカーの出逢いは本当に勉強になったんだよ。
「バックパッカーだとただ出逢うだけじゃなくて何ができるのかな?」
と思って、オーストラリアではほんと扇子を路上で売ったりとか、ネパールでは「道場を見せてくれ!」って言って、そこに茶帯の人がいて、俺が見せたら「これは凄い!」って言われちゃって、ダンバールスクエアっていうカトマンズのイキガミ様がいる所に連れて行かれて「ここで見せてくれ!」って言われて演舞したりって物凄くいい経験になったなって。
今もキャリアカウンセラーをやっている中で大切にしているクルンボルツっていう人の“5つのことを大切にする”という理論があって、
好奇心 持続性 楽観性 柔軟性 冒険心 があると自然に引き寄せてくる
と。
「あの人は運がいいよね〜」
って言う事があると思うんだけれども、それは運がいいだけじゃなくてそういう生き方で自然に引き寄せていることだと思うから、自分もどんどんチャレンジしていきたいと思うし、行動ありきじゃないかと。
ーこれからの若い人に向けてメッセージとかいただけませんか?ー
どんどんどんどんリソースとしていろんな人を良い意味で使っていったらいいと思う!
結局お互いに無いものを高め合う。
どんどんヒアリングして、興味を持って質問していくこと。
コミュニケーションもそうだし、偉そうに言えないけれども、最近では質問力が足りない気がするし、それはもったいないと思うから。
「ちょっと気になるんで」
って言ってもっともっと聞いていったらいいと思う。
「かっこいいっすね!」
っておべっか使うより、
「どうやって成長したんすか?」
とか聞いちゃう方が聞かれる方もよっぽど嬉しいし、心に響くし共鳴するよね。
自分より先輩の人なんてなおのことそうじゃないのかな、って思う。
「スーツかっこいいっすね!」「時計いいっすね!」
とかより、
「ちょっといいっすか?」
って言って深掘りして3つくらい聞いていったら本質に綱がるじゃない。
でそこで質問するっていうことで聞くだけだったらお金になるわけじゃないし、あくまで人の言ったことだけれども、“自分の強みとだったらどう相乗効果を出していけるか”って考えたら凄くいいと思う。
あとは儲けばっかり考えてたんじゃ自分の周りとか近い所とか見えてこないし、いろんなチャンネルやアンテナは立ててた方がいいと思うし、自分もそうしていってるつもり。
ー今の20代や若い子って尚の事聞いたりすることってないんですかね?ー
若いってのもあるかも知れないけれども、特に自信ある人って人に聞けないんじゃないかな。
特出してつっぱれる人はつっぱってもいいと思うんだけれど、そのつっぱり具合を認めてくれるメンターがどれだけいるかだとも思うし。
今自分は46歳になるんだけれども、昔の46歳って凄く大御所だった気がしない?
けれども、今ってそのくらいの年齢になっても精神年齢がいい意味で低くて若いと思うから、フラットに付き合って、無いものを話して、お互いに良いものにしていこう!って考える自分たちみたいな大人も多いんじゃないかなって勝手には思っているんだけれども。
遠慮しなくても全然いいんじゃないってこと。
魔神ブーみたいに一旦は全部受け止めて 笑 お互いどんどん吸収していけばいいんじゃやない。
きっかけは確かに大切だけれども、それよりも中身だったり、さっきの話じゃないけれど一期一会だったり。
いろんなものに繋がるご縁を大切にしていける関係性をもっともっと作りたいよね。
ー貴重な機会をありがとうございました!(撮影スタッフ一同)ー
いや、こちらこそありがとう!
またなにかあったら是非来てね!
株式会社サムライトサムシング:阿久津社長の会社紹介動画はこちら↓
会社名 株式会社サムライト サムシング
英語表記 Somelight Something Co.,ltd.
代表取締役 阿久津 正晴
所在地
〒320-0831
栃木県宇都宮市新町1丁目6-15
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