本場の餃子を激戦区宇都宮で挑戦!国際化の進行と地方都市発展の中で寿限無餃子にかける想い

餃子の激戦区宇都宮で、本場の餃子を手作りで提供し続ける無添加餃子
寿限無餃子。
オーナーの江さん(以下:江)にお話を聞いてきました。

ーなぜ日本に来ることになったのですか?また、なぜ宇都宮で餃子を始めようと思ったのですか?ー
江:まず、日本(宇都宮)には留学生として来ました。
当時、半分騙されて来た様に思います。冗談ですが。
留学にあたり、東京の学校を希望していましたが、都内から4〜50分との説明だったので、了承しました。
でも実は新幹線(での時間が4〜50分)だったと言うオチです(笑)。
そこから16年の月日が経ち、今になります。

ーという事は、餃子に出会ったのは宇都宮に来てからですか? ー
江:はい。
今も居酒屋「寿限無」という店舗を11年やっています。
開業数年目の事ですが、ここ宇都宮は餃子が盛んだよな?とはなんとなく思っていて、ふとなんでだろうと冷静に考える時間がありました。
餃子は中国発祥と言われています。
ここにいて、私が何故やらないのかと自問自答しました。
それで、餃子をやってみようと思い立ったのです。
でも実際は不安もありました。

そこで、私は激戦区で勝ち抜く為に、
1 餃子がなぜ盛んなのか?
2 どんな餃子があるのか?
この2点を調べるために、ノート片手に約3ヶ月、約100店舗食べ歩きました。

記入項目として、
①まず感じたこと
②皮・中身はどんなものを使用しているか
③自分の評価
④何がメイン(売り)なのか
4つの項目を各店1つ1つ記入 していきました。

本当に、毎日嫌になるほど食べて食べて食べ続けました。
今でも食べ続けていて、メモも取っています。

でも宇都宮で自分の特徴をしっかり出して行かなければならないとの思いから、諦めませんでした。
最終的には 、
1 「皮を手作りは少ない」
理由として、小さい頃は手作りだったこと、 何度も作っては食べ、奥さんと検証し、これは美味いという餃子が出来たこと。
2 「子供に化学調味料を使いたくない」
理由として、なかなかそういうお店には出会えなかったこと、自分の所はそうしたいという願望が強くなったこと。
そうして、おばあちゃん直伝の無添加餃子「寿限無餃子」に至ります。
9年目の居酒屋で出してみたら、おかげさまで大好評、毎日売切れになる状態でした。

ーお客様の反応も良かったようですが、最初奥さんと2人で手作りだったのですか?ー
江:手作りは今も同じですが、当時は2人だけで、一日400個作るのがやっとでした。
仕事や学業の関係上、毎日は作れなかったんです。
さらに、お客さんの反応次第ではやめようかなという不安は常にありました。
1日に数百個が限界で毎日は作れなかった為、出せる数量が決まっておりましたから。

※工房見学の様子※

ーイメージで申し訳ありませんが、中国の餃子は水餃子で皮は厚いですよね?ー
江:そうですね!まさにその発想です!
中国の作り方で食べ方は日本の食べ方。
「これでやってみよう」から始まりました。
皮が厚めで当時はあまり無かったモチモチ感でも、お客様は受け入れてくれました。
パリパリ感ではないものでもこれはやっていけるという確信に変わりましたね。

ー焼き餃子への抵抗はありませんでしたか?ー
江:最初はありました。
なんで餃子を焼くの?って。 1日経った残った餃子を焼くという事はあったかもしれません。
でも、茹でて食べれば身体にも良いし、油も使わなくていいのにとは正直思いました。
そして、ご飯と一緒に食べることにも驚きました。
水餃子は、おかずではなくご飯(主食)という考えです。
でも今では、焼きはおかず、茹ではご飯と何の違和感もありません。

その頃、やっぱり宇都宮にいる以上、餃子協会にも打診させて頂きましたが、2年待たなければなりませんでした。
最初の名義(居酒屋寿限無)は奥さんだったので、学生終りの自分名義では切り替えから2年の実績が必要だったんです。
今は協会にも入れて頂いて、本当に助かっています。
相談したりして、 小さい餃子を作ったらとの指摘もあり、「宇都宮で1番高い餃子」と「宇都宮で1番小さい餃子」をやっています。

ーなるほど、そういった経緯があったんですね。では江さんの餃子にかける想いを聞かせて頂けますか?ー
江:私は中国(旧満州)東北部 出身です。
餃子の歴史で言うなら、今から約1800年前。
私が生まれた所からもう少し南のところで、中医薬の先生が居ました。
耳のしもやけが流行り、特に子供は薬(漢方薬)を飲まなかったんです。
そのことを解決できないかと考え、薬を包んで食べさせたのが発祥と調べました。
それから、そのことを広めるために「食べると体にいい/食べれば万病に効く」と広めて回ったらしいです。

※寿限無餃子※

また今では、餃子は縁起物として食べられてもいます。
餃子の形は、船に似ていませんか?
ーなるほど、確かに言われてみるとそう感じますー
江:船の中に、宝があることから、宝船=幸福のイメージが付いたんだと思います。
大晦日などは、家族みんなで作ります。
「福」を中に入れて包み、正月には「福」を食べるという感じです。幸福祈願ですね。
その想いもあり、「寿限無餃子」と名付けています。

「寿限無餃子」も「餃子は縁起物」からの発想です。
その願いを込めて一つ一つ折り目も7折、7福に因んで手作りしています。
なのでいつも食べてくれるお客様に、幸せでありますようにと心から願っています。
食べて安心/食べて健康という、ただのおかずではないことも、もっと知って欲しいですね。
今の餃子はそれはそれでいいのですが、薬膳餃子という餃子の歴史を知ってもらえるともっと嬉しく思います。
歴史は大切です。形は変わって、食べ方が変わっても今も残るのには理由があります。

ーこれからどうしていきたいですか?またどうなっていきますか?ー
江:飲食業からスタートしたので、それはもちろん続けます。
「寿限無餃子は福である」、「餃子は縁起物」を広めていければ嬉しいですね。
そして新商品の「魚ーざ」も広めていきたいです。
今はまだ、焼き立てでの提供しか出来ません。
ですので、イベントなどに限られていましたが、6月予定ですが、店内でも食べられる様に進めています。

餃子もたい焼きも縁起物つながりです。
冷凍販売もしたいのですが、仕切りや無菌、業務用換気扇、独立水道などを仕切れれば同じところでも可能ですが、 まだコスト掛かり過ぎてしまいます。
その場じゃないと売れない、その場で食べてもらうということに縛られてしましますので、発送は難しいのが現状です。
そういったことも含めて、知らないことが沢山あります。
日々勉強ですね。

それと合わせて、日本に来る外国人に、観光(良さを知ってもらう)ではなく 日本に滞在してもらうにはどうしたらいいかも考えています。
日本を感じて、自国に持ち帰って、良さを知った人はいますが、一過性のものでしか無いように思います。
観光で、どんなに頻繁でも毎月とか毎週とかは来ませんよね?
ですので、そういった方の滞在日数を増やしたほうが、日本という国にとって大きな経済効果に繋がるのではないかと考えております。
特に、日本で起業したい・事業を起こしたいという人を増やし、やる気がある人の手助けー 起業支援みたいなことも会社【株式会社JcTクリエーションズ】でやって行きたいです。

自分もそうでしたが、やりたい気持ちがあっても、実際にやるのは大変です。
そういった自分の経験やこれまでの人脈を活かし、これからの人材を育て、相談などのしっかりとした支援をすることが、 日本への恩返しであると思います。
今はまだ、自分のできる範囲でしかやれていません。
たとえば、定期開催の国際交流のグループを作って、情報交換や相談をしています。

まだメンバーは約20人程度です。
中国、日本、ネパール、ベトナム、モンゴル、アメリカ、UAE、フランスといった方々で集まっています。
1~2ケ月に1度位開催し、情報交換の場を作ることからスタート。
何がしたいのか聞き、人脈などから行政書士などに来てもらい、相談や話しをしたりなど、知識と人脈の提供もしています。
「外国の方々も滞在時間を増やし、日本経済に貢献して頂く」これがJcTクリエーションズです。
なのでこれからの起業したい外国人の方には、是非、ストーリーやコンセプトを持った、面白いと思われる会社を作って欲しいです。

相対的に、外国人の会社は短命です。
原因としてたぶん気持ちや想いが強くないから ではないでしょうか?
ですので、生き残るための楽しい会社作り、長く続くように支援していくことがミッションだと思っています。

ー長時間ありがとうございました。これからも応援させて頂きますー